受容と時間の過ぎ具合
夜が苦手。今に始まった話ではないけれどフルナを亡くして余計に苦手になった。
外が暗くなり出すと、ああ、と思う。
友人や知人周りの方に何回か言われた事がある。
なくした実感なんてなくてもいいと。フルナとの事は今までと何も変わらないのだからと。
私もそうだと思う。そう感じていたい。
でも側にいて実感として撫でられない。その事がとても急に、「なんでいないのだろう?」と強い単純な思いがやってくる。自分にしては亡くなった後や荼毘までも、その後も理解しながらやってるつもりなのに、とても単純なそしておおきい「何故?」が。
人と会う事は気分がよくて、笑ったりも沢山してて、それなりに受け入れているんじゃないのかと思いもするし。逆に全く、冗談じゃない程に受け入れていないのではないかというこわさもある。
まだ3週間なのにもう数ヵ月経ったような感じがする事も混乱のひとつ。
そんなに多くは無いけれど、今までにあった乗り越えるのに時間のかかった辛い事は、ただただ早く時が過ぎてくれる事を願うのに、時間はカメの歩みの様で。
今はフルナの仕草や目つき、匂い、感触が薄らぐのがいやで、この数ヵ月の事を自分の中に落とす為にも、時間はゆっくりと過ぎていって欲しいのにぐんぐん時が経ってしまう。
何で逆なんでしょう。ちょっと待って欲しい。
今日は昼間にフルナの話をする事が多かったのと、さっき月でも眺めようとベランダに出て並ぶ月と火星を見ていたら寂しさがどっと押し寄せてきてしまった。
月はキレイだったけれど早々に退散。