ゆるりとフルナ

我犬フルナと共に過ごし、老犬介護について記す為に始めたブログ。その後保護犬の一時預かりを経て、2代目シャルとの生活が始まりました。

大事な引き出し。

ここずっと年単位の「冬眠」に入っているような気がしていて、体調もあって、それもよしとしていたのだけれど、昨日ふと(感覚的にだけれど)冬眠から出るのかわたし?という気分になった。それからつらつらと頭の中で思った事が今日SNSで友人が同じような事を書いていて。人の文章で読むと改めて心にしっかりと落ちた気がした。

島から出て間も無く7年が経つけれど、初めの頃の七転八倒から徐々に内地の空気にこなれてきた所もあって、そう云う意味ではここで自分の世界も少しは積めてきた安心感もあり、また別の意味では自分自身への「おーい、大丈夫?」みたいな不安感もあり。

私は沖縄を旅して好きになって島に移住したパターンではなかったので強い思い入れみたいのはないまま生活がスタート。おまけに仕事上、祭事やイベントにもあまり出向けなかったし、島に根付いた生活という程ではなかった。
でもあそこで暮らす毎日でしっかりと身に付けられていったのは価値観だったと感じてる。人からもだろうし、自然からもだろうし。無意識に身につけていったもの。
自覚はしていたけど島を出てからは余計に認識する事も多くて、自分にとって島で出来上がったこの引き出しはタカラモノだと感じていた。
不安感と云うのは、ここでの毎日でそういったタカラモノまで少しずつ溢していっているのではなかろうか?というような不安。

 

「カンタ!ティモール」という映画を数年前に観て。すべてがとてもとても心に残った映画で。上映後にあった監督の講演を聞きながら映画で緩くなった涙腺が崩壊したのだった。
昨年末に主人公のアレックスが急逝し、東京での追悼の会の様子をYoutubeで拝見して、監督の「ちょっとずつ諦めていった先に戦争があるのかなと思う」という言葉を聞いた時、後ろめたい気持ちがあった。
こなれていく事に比例して自分の中に「諦め」が増えているような気がしていたからだと思う。


内地に戻って7年経ってもまだあるアウェイな感じ。
それを無くしていこうとするのでなく、在ったほうが、出来るならのばしていった方がいいのでは!というのが昨日頭のなかでつらつらと思った事だった。受け取った大事なタカラモノは失くしたくないから。


講演会で涙が出て出て仕方なかった。アレックスからの伝言。
自分のために書き起こし。
「自分たちの仲間が10人にしか見えなくて、対するものが大きくて巨大で1000人に見えても、あなたのやろうとしている事が命に添ったこと、命が喜ぶ仕事であれば、亡くなった人たちも生まれてくる人たちもついていてくれるから、それは1000どころじゃないから、恐れないであなたの仕事を続けて下さい。仕事の途中で命を落とすことがあるかもしれないけれど、それでも大丈夫だから恐れないで下さい。もしどうしても心細くなったら僕たちの事を思い出して欲しい。僕たちは小さかった。あの巨大な軍を撤退させるということは出来たら奇跡だと笑われた闘いでした。でもその軍も最後には撤退しました。それは夢でも幻想でもなく現実に起きた事で、目に見えない力も僕らを助けてくれたからどうか信じて下さい。」

恥かしくなく、いきたい。


映画『カンタ!ティモール』アレックス追悼の会